くらしに真の豊かさとゆとりを-憲法理念から考える-
「憲法理念をくらし、大学・高等教育の中に息づかせよう」というスローガンを私たち
はかかげています。それでは「憲法理念を息づかせる」とは、私たちの生活や毎日はたら
いている大学・高専という職場を、いったい、どう変えていくことをいうのでしょうか。
憲法理念としての「人間らしく生きる権利」
一九六〇年代末から七〇年代、戦後の「高度経済成長」のツケがワッとふきだして、水
俣病やイタイイタイ病、四日市ぜんそくに典型的にあらわれた騒音、大気や水の汚染、悪
臭などの公害は私たちの生活そのものを侵しつづけていました。公害に悩む地域住民はけ
っして泣き寝入りすることなしに、「人間らしく生きる権利」をかかげて立ち上がり、裁
判をたたかい、さらに政府や地方自治体に対してより強い公害規制をもとめて、運動をす
すめました。そんなとき、日本国憲法のさだめる「生存権」「環境権」「個人の尊厳」「
幸福を追求する権利」をはじめとする人権規定が住民をささえました。公害とたたかう住
民にとって、「憲法をくらしのなかに生かす」こととは、自分や家族の生存をまもること
自体につながっていたのです。
さらに老人や子ども、障害者が真に人間的な暮らしをもとめて、社会福祉・社会保障の
充実を国や自治体に要求していった運動もすすみました。こうした運動こそ「憲法をくら
しに生かす」ことにほかなりませんでした。憲法がさだめる生存権は、別のことばでいえ
ば、「人間たるに値する生存」を確保する権利でもあります。
結婚退職制や若年定年制によって退職を余儀なくされようとした女性たちが、「みんな
に合わせる」ことなく「男と女を差別することはおかしい」と裁判にうってでて、勝訴し
たときも、その”てがかり”は、憲法のさだめる男女平等の原則でした。こうして、男も
女も平等な、いまはやりのことばでいえば「共生の時代」を一歩一歩きりひらいていった
ことも、「憲法をくらしに生かす」ことだったのです。
憲法を生かすことは「しんどい仕事」
しかし、こう書いてきても、「自分たちは別に差別されてもいないし、生活も中くらい
でまあまあだし、憲法なんていったって、なんだかむずかしそうで、自分に関係ないや」
と思う人も多いようです。たしかにそうです。私たちが、毎日の生活のなかで、家族との
団欒や夫婦のふれあいを楽しんだり、スポーツや映画や演劇を楽しんだり、社会的に意義
のあるボランティア活動などに参加したりすることも、実は「人間たるに値する生存」を
確保したいということにほかなりません。しかし、私たちがこうした健康で文化的な生活
をおくりたいというごくありふれた人間的な要求を、実際のくらしのなかに実現していく
ことはいろいろな障害にぶちあたります。憲法が考える自由とか平等とかは、各人が自分
のユニークな生き方、個人がそれぞれの幸福を追求する自由だ、とすると、今の日本の社
会では、それを実現していくことはけっこう「しんどい」ことがらなのです。
なにが「人間らしく生きる」ことをさまたげているのか?
機関紙『全大教』に寄せられた「わたしもひとこと」の中には、定員削減で仕事が急激
に増加して、行(二)職員には病休をとる人が急増している、女性職員への昇格などでの
差別がおこなわれている、教員も「組織改革」で学内の会議がやたらと増えて「多忙化」
がすすんで、組合活動をする余裕がなくなってきている、とかいろいろな苦情がつづられ
ています。公務員の労働基本権を制約する代償としてなされているはずの人事院勧告も、
九三年は一時金〇・一五か月分切り下げを強行しました。
私たち大学に働く教職員だけでなく、民間企業で働く労働者も「九十年代不況」のなか
で、一時帰休・ボーナスのカットなど深刻な生活状態に追い込まれています。労働の現場
では「過労死」がしばしば大きな社会的問題になったり、残業しても手当てをもらわない
「サービス残業」なども広範に存在しています。
私たちが真に人間的なくらしをしたいと思っている、その要求をさまたげているものは
「企業社会」とか「会社主義」とかよばれる、企業の利益確保がすべてに優先して、労働
者がその生活まるごと、企業に従属させられているような社会のしくみそのものにある、
と考えていいのではないでしょうか。企業の中での女性に対する差別、自分の考えを自由
に発表したりできない市民的な自由の抑圧も、その根っこは、社会のこうしたしくみから
きています。大学における再編も、社会における「会社主義」の支配とけっして無関係で
はありえません。
憲法を職場に生かす運動を!
私たちの職場の現状が、真に人間らしい生活を実現することをさまたげるものになって
いるとすれば、これに対抗する理念として、今こそ憲法がさだめる人権の大切さをかかげ
る必要があります。
性別による差別を禁止する憲法一四条「法の下の平等」、自由な意見表明を保障する憲
法二一条「表現の自由」や憲法一九条の「思想の自由」をはじめとして、すべての人権は
、ひとりひとりの人間が「個人の尊厳」をたもって、「幸福追求」することを保障してい
るのです。
憲法が労働者に保障している「労働基本権」も、労働組合をつくって、使用者と対等に
交渉し、場合によっては、ストライキにうったえる権利を認めていますが、そもそも考え
てみれば、その職場にはたらく労働者が、真に人間らしい生活を確保するためにつくられ
ている権利だ、と考えることができます。
また、私たちが働いている大学という職場も、国民の「教育を受ける権利」を実現する
場であり、「学問の自由」が保障された職場でなくては、教育・研究はすすんでいかない
でしょう。昨今、いろいろな大学で議論されている「大学改革」も、憲法が保障するこう
した理念を基本にしてすすめられなくてはなりません。
効率第一に考えて、定員の削減など教職員の切捨てをすすめ、そこに働く教職員の生活
から、生きがいやゆとり・豊かさを奪いとってしまう方向に、大学を大きく変えてしまお
う、という再編構想がいろいろな形で浮上してきているいまこそ、その対抗軸として、憲
法を職場に生かす運動がもとめられているといえるのではないでしょうか。
(全大教・憲法パンフ、一九九四年六月)