憲法を学ぶ


 みなさんは、桑田義雄という裁判官を知っていますか。  桑田義雄判事は、やはり裁判官を父親にもち(しかも父親は高裁の長官だったか、相当 の位にある裁判官)、法廷内外での非常に優秀な処理能力をもった裁判官です。しかし、 桑田判事は、出世などどこふく風、家庭裁判所という極めて地味な裁判所で、離婚訴訟や 少年事件などを人間味をもってあつかっていく。彼の趣味は園芸であり、それゆえに、人 は、彼を、家庭裁判所の家裁(かさい)と、草花の栽培をもじって、「家栽の人」と名づ けています。
 実は、この桑田判事は、漫画『家栽の人』(毛利甚八作・魚戸おさむ画〔小学館〕・h 〜l・各四八五円)に登場してくる裁判官です。私もさっそく四巻までを買って読みまし た。実に人間味あふれる裁判官です。実際、ある裁判所では、この漫画が裁判所の図書館 に入れられて、若い裁判官たちが読んだり、学生のなかでもこの漫画を読んで、将来の裁 判官をめざそうとするひとも増えているらしい。ちょっとした社会的な波紋を投げかけた 漫画といえそうです。
 どうして、こんなに桑田判事がもてるのでしょう。僕はこんな風に考えました。私の読 後感を二つ。第一に、実に魅力的なこの裁判官=桑田判事への一種の憧れは、いまの日本 の裁判官にたいして、国民が感じている不満や批判的な思いが逆に反映しているのではな いか。「その良心に従ひ独立して」(憲法七六条)裁判をおこなうはずの裁判官が、自分 の出世や便利な任地をのぞんで(最高裁にうけのよくない裁判官が、地方へ「島流し」あ るいは「どさ回り」を余儀なくされているのは、司法界では暗黙の常識です。)上司の裁 判官やその頂点ともいうべき最高裁とくに最高裁事務総局に従順なヒラメ裁判官になって しまっている。もちろん、そうでない裁判官も多数おられるのだろうが、国民が感じてい る「管理された官僚裁判官」への反発が、フィクションである桑田裁判官への賛美・期待 へとつながっている。この『家栽の人』は現在の司法を批判し、あるべき裁判官像を模索 するすぐれた社会派マンガだ、ということ。
 第二に、裁判官だけでなく法律家(弁護士・検事にかぎらなくても、公務員、企業の法 務担当者までふくめて)に必要とされるものは、たしかに法律的な知識の正確さと豊富さ もあるでしょうが、法が人間同士のさまざまな営みをルール化しているものである以上、 私たちが生きているこの社会についての幅広い関心・社会的な不正に対する怒り、人間と しての情熱などがもとめられているにちがいありません。だから、そういう資質をもつ桑 田判事がもてるのでしょう。
 それでは、桑田判事のようになるためにわたしたちはどう学べばいいのでしょうか。た とえば、私の専門である憲法学について考えてみます。たとえば憲法一四条には「性別に よる差別の禁止」がかかれていて、職場における具体的な事例としても、結婚退職制や三 十歳定年制(もちろん、女性だけに適用されるのです)が裁判で違法とされ、無効とされ たことを知っている人も多いでしょう。しかし、そうなるまでに、その訴えをおこした女 性がどれほどつらい思いをし、職場では上司や多数の男性(支援した男性もいたでしょう が)から「なまいき」「長く働くと婚期をのがすよ」などといわれながら、どうがんばっ てきたのか。そこを知ってほしい、と思います。判決を事実のところからしっかり読んで みることも重要でしょうし、当事者たちが書いた記録や本もおおいに参考になります。  わたしたちが手にとってみる憲法の条文には「第○条、国民は・・・」などとサラッと 書いてあるにすぎないけれど、こう書かれるまでには、さまざまな人々の苦闘を経なくて はなりませんでした。私がいま筆をとって(実際にはワープロをうって)自由に書いてい る文章ひとつですら、つい四十数年までのわが国では、検閲をうけ、場合によっては、「 社会的××に対する怒り」などと「伏字」をよぎなくされたのでした。今、わたしたちは 日本国憲法の下で「表現の自由」を享受して、自由に書くことができる(表現の自由につ いてなおいくつかの規制が「憲法に反しない」としてされていることの憲法適合性につい ては、ここではふれない)。こうなるまでに、どれほど多くの人が逮捕され、倒れてきた ことか。一つ一つの憲法の条文には、人々の「血と汗」がきざみこまれているのです。  みなさんには、憲法の条文の背景になっているさまざまな歴史的事実・社会的運動をぜ ひしっかり知ってもらいたいと思います。そうすれば、きっと、みなさんも、あの「桑田 判事」のようになれるでしょうし、わたしもそうなるように、がんばりたいと思います。
         (鹿児島大学法学会『法学・政治学のすすめ』一九九二年八月)