比較憲政史(小栗)プリント

 

       ドイツの憲法

 

(1)1848年の「3月革命」とフランクフルト憲法

 ☆ 統一ドイツの憲法制定めざす⇨ドイツ同盟(ナポレオン没落後、オ−ストリアおよびドイツ諸国のゆるやかな国家同盟)から国民議会の議員選出

 ☆ 1849年3月28日「ドイツ・ライヒ憲法」を採択

   ドイツを連邦国家として統一

   皇帝⇨「ドイツ人の皇帝」

   ライヒ議会=「連邦院(Staatenhaus) 」(ラントの政府と議会が選出)         

「国民院(Volkshaus)」(男性の普通選挙で選ばれるドイツ国民の代議員)

   国民の「基本権(grundrechte )」

     居住移転と営業の自由、法の下の平等と身分的特権の廃止、人身の自由と住居の不可侵、言論・出版の自由、信教の自由、学問および教授の自由、請願権、集会・結社の自由、所有権の不可侵

 

(2)プロイセン3月革命の挫折からプロイセン憲法へ

   1848年3月17〜18日 ベルリンでの市民蜂起⇨憲法草案の提出 

      12月5日     議会の解散⇨欽定憲法の制定へ

 

   1849年3月 プロイセン王はフランクフルト憲法を拒否

   1850年1月 プロイセン憲法の制定

            3級間接・記名選挙制による議会

            国王の権力=「神の恩籠」

            立法権=国王と衆議院・貴族院が共同して行う

            行政権=国王に、国王は法案の拒否権をもち、緊急勅令を制定できる。

大臣の任免も国王大権            

            権利=「プロイセン人の権利」

                 「法律の留保」による権利保障

 

(3)ドイツの統一とビスマルク憲法(1871年4月16日)

     プロイセン主導によるドイツの統一

     1871年憲法=ライヒとラントの間の権限配分

             ライヒ議会と連邦参議院(後者の優位)

             権利条項は、ラントの憲法とライヒ法律による保障にまかされた。

 

(4)ドイツにおける「上からの近代化」

     プロイセン型農民解放⇨封建制の有償廃止の方法、旧領主の土地を拡大し、

ユンカ−経営(地主直営の大経営)、上からの産業資本の育成

 

(5)19世紀後半のドイツ社会の変化

     ドイツ資本主義の急速な重工業化・独占化

     労働者政党の登場

     ビスマルクの「アメ」(社会保険立法)と「ムチ」(社会主義者鎮圧法)

 

ドイツと同じような「遅れて資本主義化した国」としては、イタリア、日本がある。

 

イタリア   1820年「カルボナ−リの立憲革命」⇨挫折

       1830年「イタリア統合諸州」の暫定憲法⇨挫折

       1848年「アルベルト憲章」

         1831年のベルギ−憲法に影響された

         欽定憲法

         神聖不可侵な国王が元首として立法・行政・司法を手中に元老院(終身の議員)と代議院(制限選挙)

         自由権を中心に9か条

         ロ−マ・カトリックが唯一の国教

       1861年 イタリアの統一

         憲章の運用として立憲主義的な要素の発展

 

日本     1868年 明治維新

       1889年 大日本帝国憲法の制定