いっせい地方選挙の結果に示された民意とは


 今度のいっせい地方選挙の結果に示された民意とは何だったのだろうか。その特徴らし きものを考えてみた。
 これまでの選挙の常識からすれば、主な政党の「相乗り」候補はその基礎票からして圧 倒的に優位であり、候補が決まった段階で「勝負あった」のはずだった。ところが、今回 はその常識が見事にはずれた。常識がくつがえったのはなぜだろう。その最大の原因は、 政党の安易な「相乗り」による官僚出身候補の擁立に対する有権者の痛烈な批判にあった 。東京や大阪とちがってあまり注目されていないが、自民・社会・新進・さきがけ・公明 がいっしょになって官僚出身候補を当選させた神奈川や福岡でも、共産党だけが推薦した 候補やどの政党も推薦していない候補が大量得票して、はっきりと批判の意思を表してい る。今回の結果は、とくに都市部では、安易な「総与党」体制に住民がブレーキをかけた といえる。ただし、大分、佐賀の知事選のように現職の「相乗り」候補がほぼ前回どおり の得票だったところもある。過疎や財政難をかかえる地方では、「中央とのパイプ」の強 さや「総与党」による安定がなお支持されているのも事実だ。23日に行われた県内の首 長選でも、舟券売り場建設反対を主張した候補が当選した桜島町などをのぞいては、従来 の市町村政運営を継承する「安定志向」が目立った。
 いならぶ有力候補をおさえて、なぜ青島・横山両氏が勝利したのだろうか。知名度だけ からいえば大前氏や岩国氏がまさっていたかもしれない。「相乗り」批判の激しさからい えば共産党推薦の候補に支持がもっと集まってもよかったはずだった。ところが、そうは ならないで、青島・横山両氏に支持が集中した。その原因は、両氏に共通する「身近な」 「やさしい」イメージを、広範な市民が支持したことにあったように私には思える。民意 は、有能だが冷たいイメージの官僚政治家より、行政能力は未知だが何となく温かいイメ ージの二人を今の政治にたいする不満・批判の「ゆるやかな受け皿」として選んだのでは ないだろうか。八〇年代以後の「効率重視」や「巨大な都市改造」路線からもっと「人に やさしい」自治体への転換を民意は求めているとみることもできる。
 政党間の争いとなった議員選挙では、前半戦・後半戦ともに自民・社会の両党の後退が 目立った。新進党も以前の日本新党などの支持層を継承したとは到底いえない結果だった 。九三年八月の細川内閣誕生以来の相次ぐ政変、政党の離合集散にたいする失望が、「政 党からのしらけ」を生んだ。とくに自民党、社会党、そして旧日本新党の支持層のなかで その傾向がいちじるしかったように見える。これらの政党への支持が流動的で弱いものに なり、業者団体や労組などの支持団体をしめつけるだけではもう票が集まらなくなってき ていることを今回の結果は特徴的に示した。いわば、これまでの大政党の「体力」がなく なってきている。政党としての魅力の喪失を反映して、中には政党の看板をはじめから不 要と考える議員すらでてきて、鹿児島でも全国でも無所属議員が増大した。
 今回の選挙のもう一つの大きな特徴は投票率のかつてない低下・無投票当選の増大だっ た。「政治への無関心」がじわじわと広がっている。県内の首長選・議員選でも共に投票 率が低下した。「争点がなかった」と言われているが、県内でも、たとえば高齢者福祉政 策、鹿児島市の石橋保存のような街づくり、さしせまる米の輸入化、原発増設、舟券売り 場建設などに見られる地域おこしのあり方の是非など議論すべき争点は多々あった。「政 党からのしらけ」と「政治への無関心」の同時進行という特徴を示した今回の選挙は、政 党や政治家を志す人々が住民にわかりやすく争点を提示する力量−言葉の本来の意味で政 治的な能力−のなさと、その再生という緊急の課題をつきつけたのではないだろうか。

                      (南日本新聞一九九五年四月二五日)