研究室ノート(朝日新聞鹿児島版)


 このところ憲法学者はいそがしい。即位の礼・大嘗祭といった天皇制にかかわる儀式が おわったかと思うと、湾岸戦争。国連平和協力法案や自衛隊機の中東派遣の特例政令はは たして憲法九条に違反しないかが問題になる。そうこうしているうちに、今度は「政治改 革」で小選挙区制の登場とあれば、またまた憲法学者が、講演会やら学習会やらにかりだ されることになる。それに「徳之島伊仙町の選管の態度をどう思うか」とか「照国神社の 前の市道に鳥居がたっているのは憲法の政教分離原則に反しないか」とか、新聞社からの 日頃考えたこともないような質問にもコメントしなくてはならない羽目になる。

 思えば、名古屋大学法学部の憲法学講座の助手に採用され、憲法学者とよばれるように なって、今年でちょうど十年になる。憲法についての自分の研究は、その時々の政治や社 会が出してきた諸問題と、かっこよくいえば格闘してきたような、悪くいえばふりまわさ れてきたような十年だった。

 そのなかで比較的アカデミックな研究テーマとしては、近代イギリスの議院内閣制の研 究がある。十七世紀のイギリスの市民革命のさいに、議会はみずから「行動する議会」と して革命をおしすすめていく。そのなかから現在の議会に責任を負う内閣制度が生まれて くる。この歴史過程を、読みづらい当時の文書をしこしこ読みながら、分析していく仕事 である。このテーマも、もともとは、国権の最高機関(憲法四一条)とされる国会をどう やったら復権できるのか、という一九七〇年代前半の学界の問題関心からえらびとったも のだった。

 第二の研究テーマは「裁判官の独立」原則の検討である。学生だったころ、青年法律家 協会に参加する裁判官の再任が拒否される事件がおきた。いわゆる「司法の反動化」であ る。あれから二十年、マンガ『家栽の人』で「理想の裁判官」が話題になる今、裁判官の 独立ははたして保障されているのか。現在では最高裁の判例にしたがうのが当然とする「 裁判官の独立」論さえ司法内部から登場してきている。とくに六〇年代から八〇年代への 司法内部の転換に焦点をあてて、どうして、いつから、この転換がはじまったのかを考え てみたい。

 それに、鹿児島に住む憲法学者として、この地の憲法事件も検討していこうとまたまた 仕事がふえる。今は、天皇制にかんする、奄美の龍郷町の二つの住民訴訟に注目している 。「平癒祈願記帳所訴訟」と「大嘗祭への県知事出席違憲訴訟」である。記帳所訴訟はも うすぐ最高裁で判決がでるし、大嘗祭訴訟は鹿児島地裁で審理がはじまった。いずれも象 徴としての天皇、政教分離についての注目すべき裁判例となるだろう。その紹介と解説を 現在執筆中。

 このように、やたらと欲張ってばかりいて「一点集中」型ではなく「多極分散」型の研 究スタイルになってしまっているのも、「腰を据えない」性格のためだろうか、それとも 「憲法があぶない」といわれる今の時代のせいなのだろうか。

                        (朝日新聞一九九一年八月二四日)