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教養部の廃止
「鹿児島大学教養部」から「
法文学部」へ。赴任して以来、
十四年間、使い続けてきた私の
勤務先の肩書が変わった。
鹿大では、「大学改革」で組
織が変わることになり、四月一
日付けで実施された。その内容
は、教養部の廃止と各学部の学
科の再編である。例えば法文学
部法学科は法政策学科、経済学
科は経済情報学科と名前が変わ
った。これまで教養部に所属し
ていた教員は各学部に分かれて
所属することになった。教養教
育を担当する教員と専門教育を
担当する教員に分かれていた大
学内の「二重構造」をやめて、
これからは、全学の教員で教養
教育にも専門教育にもあたって
いこう、という建前になった。
戦後、大学では、専門にかた
よらないで、科学・文化・人間
を広く学ぶために教養教育が重
視され、その教養教育に責任を
もつ組織として多くの大学で教
養部ができた。しかし、一、二
年生という全学のほぼ半分の学
生の教育を、全教員の八分の一
くらいの教員が担当するのだか
ら、どうしても大人数の授業が
多くなり、学生とのつながりも
希薄なものになりがちだった。
学生の側でも「教養部では適当
に単位をとればいい」という受
け止め方も多かった。残念なが
ら、初めの目標が達成されて、
教養部が廃止されるというわけ
ではない。
私自身も専門が異なる学生に
どれだけ興味がもってもらえる
のか、試行錯誤の連続だった。
中学・高校で社会科は暗記科目
とされて「憲法なんて条文を暗
記させられてつまらなかった」
という学生に、憲法は身近な生
活と関係しているんだと語りか
けたつもりだが、学生たちはど
う受け止めてくれただろうか。
廃止に際して『鹿児島大学教
養部史』が発行された。一九六
五年に発足して以来、三二年。
文理学部からの独立、大学紛争
、教育改革そして再編へと教養
部の歴史が綴られた『部史』を
読むと、教育条件が良くなかっ
た状況下での、諸先輩の悪戦苦
闘、奮闘努力のさまが伝わって
くる。教育とは、尽きることの
ない、持続する志そのものなの
かもしれない。