市教育委員会が君が代のテ−プを配付したことの合憲性



京都地判一九九二年一一月四日判時一四三八号37頁、判タ七九九号二五八頁

〔事件の概要〕
 一九八六年二月、京都市教育委員会は、入学式・卒業式で流す「君が代」の演奏・合唱 を録音したカセットテ−プを市内の小中学校の校長に配付することを決め、職員Yはその 目的のためにテ−プを購入し、その代金として四万四九五〇円の公金を支払った。そして 市内の小中学校長あてに配付した。京都市民であるXら二六〇人は、監査請求をおこなっ たが監査委員会では意見が分かれ、決定をだすことができないとの監査結果を公表したの で、「君が代」のテ−プの購入および配付が違法であるとして住民訴訟を提起した。被告 とされたのは、市教育委員会の委員長、教育委員、委員会職員ら九人とテ−プ配付時の校 長一七一人であった。そのうち、市教委の職員らに対しては違法な公金支出による損害の 賠償を、配付されたテ−プを保管していた各校長に対してはテ−プの引渡しをもとめた。

〔争点〕
 (1)「君が代」の内容は憲法に反しているか。(2)「君が代」のテ−プを配付したことは、 入学式などで児童・生徒らに斉唱・演奏を強制するもので、思想良心の自由などに反して いるか、また「君が代」の演奏・合唱は教育の自由などに反しているか。

〔裁判所の判断〕
「国歌とか、それと同視される歌は、国民各人の心の深層に内在するシンボルの一つでも ある。国歌ないしそれに準ずるものとして、君が代の内容が相当か否かは、内心に潜在す る適否の問題といえる。それは、もともと、国民ひとりひとりの感性と良心による慣習の 帰すうに委ねられるべき性質のものなのである。」
「国歌とされるものの歌詞や曲が二義を挟まない程度に明らかに憲法を誹謗し、破壊する ものであることが明白でない限り、その適否は、本来、裁判所の司法判断に適合しないも のである。」
(「君が代」のテ−プを配付したことは、「君が代」の斉唱・演奏の強制にあたり違憲と されるか、については)「このような問題に対する判断をするまでもなく、本件住民訴訟 はその要件に欠けることが明らかである。司法裁判所型付随審査制の憲法争訟制度をとる わが国の憲法の下では、当該事件の解決に必要な範囲でのみ憲法判断をすべきもので、当 該事件を離れて、その解決に不必要な判断をすることは許されていない。」〔被告の一部 に対する訴えを却下、その余の被告に対する原告の請求を棄却〕

〔解説〕
 「君が代」については、その賛否をめぐって、学校現場をはじめとして社会的にはげし く議論がなされているが、裁判で争われた事例はそれほど多くない。福岡県の小学校で、 生徒の父親が卒業式の「君が代」斉唱の取消をもとめた裁判で、福岡地裁は、斉唱は式次 第の一部にすぎず、生徒などの権利義務関係に変動をおよぼさないから「公権力の行使」 にあたらないとして却下した事例がある(八〇年六月二〇日判時九九七号一〇三頁)。こ のように、「君が代」について裁判で争おうとしても、その内容以前のところで、はねら れてしまうことが多い。本判決も、「君が代」の内容についてその「歌詞や曲が二義を挟 まない程度に明らかに憲法を誹謗し、破壊するものであることが明白でない」以上、司法 判断に適合しないとして裁判所の判断を示さなかった。判決のこの処理方法は、宗教上の 教義に関する判断については裁判所の審判権が及ばないとした判例(たとえば「板まんだ ら事件」最三判八一・四・七)に似て、「君が代」の内容の適否は「内心に潜在する適否 の問題」と考えて、その判断を国民個々人の判断にまかせたものである。したがって「君 が代」が法的にみて国歌であるかどうかについても、判断しなかった。しかし、八九年に 告示され、九二年四月から施行された(小学校)新学習指導要領が「入学式や卒業式など で・・国歌を斉唱するよう指導するものとする」と改正されて、学校での「君が代」の国 歌化がいっそうすすんでいるだけに、宗教団体などでの教義上の問題の事例とどこまで同 一化できるか。判決は「国旗への敬礼ないし国歌の斉唱を児童生徒に罰則や退学処分をも って強制する」場合には「本件と異なる」と述べていて、制裁をともなった強制の場合に は裁判所の判断もありうる旨のべているので、今後たとえば「君が代」の斉唱を拒否して 教職員が処分をうけるような事例のさいには司法判断が求められることもでてくるだろう 。