第3章  統治機構

1    「昭和」の終わった日

 1989年1月7日「昭和」が終わり、翌8日から「平成」がはじまった。日本国

憲法制定以来はじめての天皇の「代替わり」だった。その前年の9月に天皇が病に倒

れて以来、2月24日の大喪の礼までの約半年をふりかえってみると、そこでは、憲

法がさだめる国民主権原理と象徴天皇をめぐるいろいろな問題がふきだしてきた感じ

がする。まず、天皇が倒れるや、全国のいたるところで「天皇陛下の病気平癒を祈願

する」という記帳所が設置され、国民が多く記帳に訪れた。この記帳所は、宮内庁が

設置を決めるや、全国の県や市町村がその例にならい一斉に設置したものだった。「

記帳しない人はおかしい」という雰囲気がいつしか形作られていった。そして社会全

体をおおった「自粛」。いたるところで祭りが中止され、ある「祝賀会」は「時節柄

」という説明つきで「集い」と名を変えて開催されるありさまだった。こどもたちの

運動会では花火・ピストルの号砲は使用不可。プロ野球の優勝記念バーゲンセールも

中止。経済界では「天皇不況」という言葉さえ生まれた。この「自粛」現象も、自分

からすすんで、というよりは、「右にならえ」で非難を避けるという姿勢のあらわれ

だった。一方、天皇問題を考えようとする集会には公的な会場を貸さないという地方

自治体すら現れ、天皇の戦争責任を追求した議員や市長には右翼勢力から脅迫がなさ

れたり地方議会で懲罰処分が加えられた。

 1月7日早朝、死去が発表されるとテレビ・ラジオは一斉に特別番組編成に切り替

わり、喪服に身をつつんだアナが登場し、民放からは一切のCMが消えた。長かった

昭和の時代をふりかえる特別番組や特集が報道され、天皇のよき思い出をつづった。

しかし、「現人神」であり、帝国陸海軍を統帥して15年戦争の最高の責任者であっ

た天皇の姿を伝え、批評する記事・番組はきわめて少なかった。

 昭和天皇は、基本原理を異にした2つの憲法の下で天皇として生き続けた。前半の

20年は、天皇主権を原理とする大日本帝国憲法により「神聖ニシテ侵スヘカラ」ざ

る存在として君臨し、後半の40年余りは、国民主権を原理とする日本国憲法の下で

「主権の存する国民の総意に基く」象徴として存在した。憲法は変わっても天皇は同

一人物だった。この半年間は、戦後日本がずっとかかえ続けてきたこの矛盾が「自粛

」や「記帳」や2日間ぶち抜きの追悼報道の形をとって、ドッとあらわれてきたとい

えるだろう。だからこそ今、国民主権の意味を考える必要があるのではないか?