2 天皇の「代替わり儀式」の憲法適合性

 昭和天皇の死去にともない、新天皇が憲法の規定にしたがってただちに即位し、皇

位の継承に関連してさまざまな儀式がとり行われたが、それらの儀式は、大日本帝国

憲法の時代の天皇の践祚(せんそ)・即位の時の儀式とほとんど変わらなかった。た

とえば「剣璽等承継の儀」は、神道にもとづいて剣や玉といった「三種の神器」を新

天皇にひきわたす内容の儀式だった。

 その後の、皇室の儀式としての「葬場殿の儀」と国の儀式としての「大喪の礼」も

、憲法の政教分離原則を厳格に守ったとは到底いいがたかった。「葬場殿の儀」が神

道形式で行われれ、この儀式がおわると、参列者の前に一枚の幕がひかれ、葬場殿の

儀につかった鳥居や大真榊(おおまさかき)が取り払われ、また幕があき、国事行為

として「大喪の礼」が開始された。参列者にはなにやらドタバタにみえたかもしれな

いが、この一枚の幕が、政府のとった「政教分離」のための苦肉の一策であった。

 天皇が主権者であった戦前には、国家神道が事実上の国教とされ、「現人神」(あ

らひとがみ)とされた天皇が日本の支配者であることを正当化するために、国を挙げ

て祀らなくてはならないとする論理にもとづいて、さまざまな儀式が行われた。しか

し、国民主権を原則とし、政教分離を求める日本国憲法の下では、明治憲法下で行わ

れた儀式を再現することは許されないはずだ。

 1990年秋に「即位の礼」と「大嘗祭」が行われた。即位の礼では、天皇が主権者の

代表である海部首相(当時)を見下ろす位置で「お言葉」を発し、首相が天皇を仰ぎ

見る位置で「寿詞」(よごと)を読み上げ、天孫降臨の神話を具象化したものといわ

れる高御座(たかみくら)や剣・璽を使用した。大嘗祭では、深夜から未明にかけて

悠紀殿供饌の儀・主基殿供饌の儀が明白な神道儀式として行われた。にもかかわらず、

即位の礼は国事行為として行い、大嘗祭は「公的性格」をもつとして公費を支出した

ことなどが憲法に照らして問題となった。

 「即位の礼・大嘗祭」の憲法適合性が問われた大阪高裁判決(1995 年3 月9 日) は

「政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概には否定できない」「国民を

主権者とする現憲法の趣旨に相応しくないと思われる点がなお存在することも否定で

きない」と判示した。明治憲法の下では適合的だったかもしれない「皇室の伝統」と、

国民主権原則にたつ日本国憲法の趣旨とは本来相いれないものなのである。