『検証・日本国憲法』〔三訂版〕(法律文化社・1998年)の執筆分
第3章 統治機構
1 「昭和」の終わった日
1989年1月7日「昭和」が終わり、翌8日から「平成」がはじまった。日本国
憲法制定以来はじめての天皇の「代替わり」だった。その前年の9月に天皇が病に倒
れて以来、2月24日の大喪の礼までの約半年をふりかえってみると、そこでは、憲
法がさだめる国民主権原理と象徴天皇をめぐるいろいろな問題がふきだしてきた感じ
がする。まず、天皇が倒れるや、全国のいたるところで「天皇陛下の病気平癒を祈願
する」という記帳所が設置され、国民が多く記帳に訪れた。この記帳所は、宮内庁が
設置を決めるや、全国の県や市町村がその例にならい一斉に設置したものだった。「
記帳しない人はおかしい」という雰囲気がいつしか形作られていった。そして社会全
体をおおった「自粛」。いたるところで祭りが中止され、ある「祝賀会」は「時節柄
」という説明つきで「集い」と名を変えて開催されるありさまだった。こどもたちの
運動会では花火・ピストルの号砲は使用不可。プロ野球の優勝記念バーゲンセールも
中止。経済界では「天皇不況」という言葉さえ生まれた。この「自粛」現象も、自分
からすすんで、というよりは、「右にならえ」で非難を避けるという姿勢のあらわれ
だった。一方、天皇問題を考えようとする集会には公的な会場を貸さないという地方
自治体すら現れ、天皇の戦争責任を追求した議員や市長には右翼勢力から脅迫がなさ
れたり地方議会で懲罰処分が加えられた。
1月7日早朝、死去が発表されるとテレビ・ラジオは一斉に特別番組編成に切り替
わり、喪服に身をつつんだアナが登場し、民放からは一切のCMが消えた。長かった
昭和の時代をふりかえる特別番組や特集が報道され、天皇のよき思い出をつづった。
しかし、「現人神」であり、帝国陸海軍を統帥して15年戦争の最高の責任者であっ
た天皇の姿を伝え、批評する記事・番組はきわめて少なかった。
昭和天皇は、基本原理を異にした2つの憲法の下で天皇として生き続けた。前半の
20年は、天皇主権を原理とする大日本帝国憲法により「神聖ニシテ侵スヘカラ」ざ
る存在として君臨し、後半の40年余りは、国民主権を原理とする日本国憲法の下で
「主権の存する国民の総意に基く」象徴として存在した。憲法は変わっても天皇は同
一人物だった。この半年間は、戦後日本がずっとかかえ続けてきたこの矛盾が「自粛
」や「記帳」や2日間ぶち抜きの追悼報道の形をとって、ドッとあらわれてきたとい
えるだろう。だからこそ今、国民主権の意味を考える必要があるのではないか?
2 天皇の「代替わり儀式」の憲法適合性
昭和天皇の死去にともない、新天皇が憲法の規定にしたがってただちに即位し、皇
位の継承に関連してさまざまな儀式がとり行われたが、それらの儀式は、大日本帝国
憲法の時代の天皇の践祚(せんそ)・即位の時の儀式とほとんど変わらなかった。た
とえば「剣璽等承継の儀」は、神道にもとづいて剣や玉といった「三種の神器」を新
天皇にひきわたす内容の儀式だった。
その後の、皇室の儀式としての「葬場殿の儀」と国の儀式としての「大喪の礼」も
、憲法の政教分離原則を厳格に守ったとは到底いいがたかった。「葬場殿の儀」が神
道形式で行われれ、この儀式がおわると、参列者の前に一枚の幕がひかれ、葬場殿の
儀につかった鳥居や大真榊(おおまさかき)が取り払われ、また幕があき、国事行為
として「大喪の礼」が開始された。参列者にはなにやらドタバタにみえたかもしれな
いが、この一枚の幕が、政府のとった「政教分離」のための苦肉の一策であった。
天皇が主権者であった戦前には、国家神道が事実上の国教とされ、「現人神」(あ
らひとがみ)とされた天皇が日本の支配者であることを正当化するために、国を挙げ
て祀らなくてはならないとする論理にもとづいて、さまざまな儀式が行われた。しか
し、国民主権を原則とし、政教分離を求める日本国憲法の下では、明治憲法下で行わ
れた儀式を再現することは許されないはずだ。
1990年秋に「即位の礼」と「大嘗祭」が行われた。即位の礼では、天皇が主権者の
代表である海部首相(当時)を見下ろす位置で「お言葉」を発し、首相が天皇を仰ぎ
見る位置で「寿詞」(よごと)を読み上げ、天孫降臨の神話を具象化したものといわ
れる高御座(たかみくら)や剣・璽を使用した。大嘗祭では、深夜から未明にかけて
悠紀殿供饌の儀・主基殿供饌の儀が明白な神道儀式として行われた。にもかかわらず、
即位の礼は国事行為として行い、大嘗祭は「公的性格」をもつとして公費を支出した
ことなどが憲法に照らして問題となった。
「即位の礼・大嘗祭」の憲法適合性が問われた大阪高裁判決(1995 年3 月9 日) は
「政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概には否定できない」「国民を
主権者とする現憲法の趣旨に相応しくないと思われる点がなお存在することも否定で
きない」と判示した。明治憲法の下では適合的だったかもしれない「皇室の伝統」と、
国民主権原則にたつ日本国憲法の趣旨とは本来相いれないものなのである。
3 天皇の「象徴としての行為」
日本国憲法は、第1条で「天皇は、日本国の象徴」と明記しているが、象徴とは何
か、象徴たる天皇はどのような行為ができるのか、憲法上よく問題になる。第4条第
1項をみると「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関す
る権能を有しない」とあり、この憲法の定める国事に関する行為(普通、天皇の国事
行為とよばれている)は第6条、第7条に列挙してある。しかも、これらの国事行為
にはすべて内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその行為について責任を負うのであ
る(第3条)。つまり、天皇の行為は、形式的・儀礼的な行為に限られ、かつその行
為についても天皇みずからの判断ではできないようになっている。「どうして、こん
なに天皇の行為にきびしくチェックをかけるのか」と疑問に思う人もいるだろうけれ
ど、その理由については、この本の「第1章 日本憲法史」をしっかり読んでほしい。
日本国憲法は、天皇が主権をもち、国の最高の統治者だったことをきびしく拒絶した
ところから出発した。
ところが、憲法に書いてある国事行為ではなく、また天皇の全くの私的な行為とも
いえない行為が最近ふえてきている。その代表的なものは、「皇室外交」とよばれる
外国への訪問や海外からの賓客の接待・晩餐などである。国会の開会式に招かれて数
段高い「玉座」から読む「おことば」、国体や全国植樹祭への出席なども憲法に書か
れていないが、「象徴としての行為」とされている。外国との関係では天皇は「元首
」として扱われている(日本政府はそう扱われることを否定していない)し、政治的
な内容をもつ「おことば」を晩餐会などで読み上げることも多い(天皇の発言原稿は
政府がつくっている)。また1973年、防衛庁長官が自衛隊の整備計画を昭和天皇に「
内奏」したところ、天皇は自衛隊激励ともとれる発言を行った(長官は天皇のこの発
言に大感激して披露したが、国会で問題になり、後からこのような発言はなかったと
撤回し、辞任した)。天皇はこのように国政に関して発言することは憲法上許されな
い。
即位した新天皇は「即位後朝見の儀」で「皆さんとともに日本国憲法を守り、これ
に従って責務を果たす」と述べた。憲法は第99条で天皇にも憲法擁護義務を課してい
る。天皇が「憲法を守る」とはどういうことか。それは、天皇の行為にきびしくしぼ
りをかける憲法の精神を再確認し、政府の内外政策の正当化のために、天皇を政治的
に「利用」することを固くいましめることだ。
4 「君が代」と「日の丸」
「来たる卒業式にはぜひ君が代を演奏したい。これについてはみなさんいろいろご
意見があるでしょう。みなさんのご意見はわかっています。しかし、このことだけは、
ぜひ私の決めるところにしたがっていただきたい」。校長が卒業式の式次第に「君が
代」を入れろ、と強引に教師たちに迫った。そこで教師たちは__(中野利子『君が
代通信』〔筑摩書房〕より)
いま学校は「君が代」と「日の丸」をめぐって、ゆれている。これまでの学習指導
要領では「国旗を掲揚し、国歌を斉唱することが望ましい」となっていた記述を「国
旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と改訂し、いっそ
うつよく学校に迫っているからである。教師やPTAの反対にもかかわらず、すでに
すべての学校で「君が代」が斉唱され「日の丸」が掲揚されている県も多い。文部省
は、国際化時代を迎えて、祖国や郷土を愛する心を育てなければいけない、と説明し
ている。ニッポン・ナショナリズムを子どもたちに植えつけよう、というわけだ。
しかし、そもそも、「君が代」が国歌であり、「日の丸」が国旗であると、法の上
では何を根拠に決まっているのだろうか。たしかに日本の船は「日の丸」を掲げて世
界の海を航海し、オリンピックでは「君が代」がながされて、さも国旗・国歌の扱い
をうけている、しかし、実は、現在のところ、憲法や法律上の根拠はない。
世界の国々では、憲法そのものや法律で国旗・国歌を定めている国も多いが、日本
ではどうしてこうなっているのだろうか? それは、明治以降の天皇主権の体制の
でのアジアヘの侵略戦争・国内での人権弾圧にかかわって「君が代」「日の丸」がも
っているイメージと内容に原因がある。「君が代」は「現人神」とされた天皇の治世
の永遠の繁栄を賛美し、「日の丸」は日本軍が占領したアジアの各地にはためいた。
本来ならば、天皇主権の大日本帝国憲法から国民主権の日本国憲法への原理的な転
換にしたがって、「日の丸」と「君が代」は変えられるべきだった。(ドイツでは第
二次大戦後、ナチス期に国旗とされた「かぎ十字」は廃棄された)。戦後改革の不徹
底さから生き残った「君が代」「日の丸」がいまや学校や官庁で堂々と掲揚・斉唱さ
れている。サッカーの国際試合のときなど、私たちも抵抗感なしに受け入れている。
しかし、本当にそれがふさわしいのか、考えてみる必要はありはしないだろうか。
5 靖国神社問題とはなんだ。
毎年8月15日になると、大臣が東京の九段にある靖国神社を参拝する。そして「
私的参拝ですか、公的参拝ですか」と新聞記者から質問を受ける光景がテレビに写さ
れる。どうして、大臣や国会議員が大挙して、この神社におまいりするのだろうか。
戦前、日本では、神社神道が「事実上の国教」とされて、特権的な扱いを受けてい
た。中でも、靖國神社は、戦死した皇軍の将兵を祀る神社として、陸軍省・海軍省の
管轄におかれ、特別の扱いを受けていた。若い兵士たちの遺書には「死んだら、靖国
で会おう」などと書かれたものもある。軍国主義の世の中で、人々の心理的な支えに
なってきた。
しかし、戦後、GHQは「神道指令」を発して、靖国神社などと国との結びつきを
絶つように要求し、ひとつの神社にすぎないとされた。「国及びその機関は、宗教教
育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とする憲法20条3項の「政教分離
原則」からして当然のことだ。
ところが、保守的な政治家や遺族会は、靖国神社は国に殉じた人を祀っているのだ
から、戦前のように国営にすべきだ、とか、天皇や首相が公式に参拝すべきだと主張
し続けてきた。1985年には、中曾根首相が靖国神社を公式に参拝した(その後、アジ
ア諸国から強い抗議を受けて、1998年時点では、中止されている)。靖国神社問題は
憲法の政教分離原則がもっとも議論されたテーマなのである。
いくつかの地方自治体は、この靖国神社に公費から玉串料などを支払っていた。そ
の公費支出が憲法の政教分離原則に違反するのではないか、と岩手県や愛媛県で訴訟
が提起された。地裁や高裁では意見が分かれていたが、1996年4月2日、最高裁が、
愛媛県知事の公費による玉串料支出は憲法に反するという判決を出して、大きな話題
になった。その判決の中で、最高裁は「明治維新以降国家と神道が、密接に結び付き
種々の弊害を生じたことにかんがみ政教分離規定を設けるに至ったなど・・憲法制定
の経緯に照らせば、たとえ相当数の者がそれを望んでいるとしても、そのことのゆえ
に、地方公共団体と特定の宗教とのかかわり合いが、相当とされる限度をこえないも
のとして憲法上許されることになるとはいえない」と述べている。
靖国神社の各県版にあたる護国神社への自衛官の合祀をめぐる訴訟、忠魂碑の移設
をめぐる訴訟も、同じように、憲法の政教分離原則の徹底をもとめて、起こされた。
6 国権の最高機関というけれど
「あなたの国で最高の地位にある憲法上の機関はなんですか?」こうたずねられる
と、日本国民のうち、何人が正確にこたえられるだろうか・「天皇?」「内閣?」そ
れとも「国会?」。憲法41条には「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立
法機関である」とはっきり書いてある。
憲法上、国会は_法律を制定・廃止する、_予算・条約を承認する、_国政につい
て調査をおこなう、_内閣総理大臣を選ぶ、_その他、国の基本的な政策を決める、
などきわめて重要な役割を与えられている。考えてみれば、予算とは、自分たち国民
が出した税金をどうつかうのか、ということだし、法律とは、国民相互の関係を規律
する一つのルールだ。本来なら国民全部が集まって決めるのがスジ(直接民主主義)
だが、実際的には困難なので、国民はそれぞれ代表者を選び、代表者同士できっちり
と話し合って、決めていくしくみになっている(間接民主主義)。その集まりが国会。
だから、憲法は、国民の代表者の集まりである国会を、法律の執行機関である内閣よ
り上位においている。
しかし、現在では、本来、最高の地位にある国会は、首相などにくらべると、どこ
の国でも影がうすくなってる。憲法学者の中には、こういう現象を「行政国家化」と
よんで、問題を指摘している人がいる。
どうして、こうなってきたのだろうか? 国の扱う仕事が複雑化・膨大化してきた
ので、官僚=テクノクラートといわれる官庁の役人の仕事の比重が大きくなり、その
統括者たる内閣が国家の活動の中心であるかのようになった。また、日本のような議
院内閣制の下では、国会の中の多数党の党首が首相になり内閣を率いるので、国会で
の議論は主として内閣(与党)と野党の対立になる。ところが、その差が大きすぎた
り、野党の批判能力が低下したりすると、内閣は国会でのチェックをさほど気にしな
くなる。すると、国会はずるずると「地盤沈下」し、「内閣政治」になってしまう。
わが国の場合、ごくわずかの期間をのぞいて、政権を担当する政党がおなじ政党であ
るため、「内閣政治」におちいる危険性はいっそう大きい。
小選挙区制が導入された96年の総選挙以来、批判勢力としての野党の力が弱くな
り、国会が本来の役割を果たしていないとの批判も強い。国会の意義がいま問われて
いる。
7 法律はどのようにしてつくられるのか?
現代日本において、法律の果たしている役割は非常に大きい。人の生活は、誕生か
ら死亡までそれこそすべて法律によって規律されている、といってもよいくらいだ。
法律は人の権利・義務に深くかかわっているだけに、憲法では法律をつくる権限を国
民の代表機関である国会に与えている。「国会は__国の唯一の立法機関である」と
日本国憲法41条が定めているのはこのためである。内閣も裁判所も地方自治体も法律
を勝手につくることはできない。内閣がつくる政令、大蔵省など各省庁がつくる省令
、裁判所がつくる規則、地方議会がつくる条例、これらの規範は法律の内容に反する
ことはできない。
法律をつくる手続きは国会法、そして衆議院・参議院それぞれの規則でこまかく定
められている。その特色はつぎのことにある。_法案を提出するのは議員または内閣
である。議院内閣制をとるわが国では、大統領に法案提出権のないアメリカとは異な
って、内閣にも提案権があると考えられている。_法案は衆議院・参議院の本会議で
可決されなくてはならない(両院制)。天皇は法律の公布をおこなうが、この仕事は
まったく形式的な行為で、天皇に実質的な権限はない。_法案の実質的な審議は、現
在では、多くても数十名の議員からなる委員会でおこなわれる(委員会中心主義)。
もうすこし実際に即して見てみよう、今日、法案はその大半が内閣によって提出さ
れる。法案は各省庁の官僚によってまず原案がつくられ、つぎに政権を支える与党内
で「根回し」がなされる。反対に与党のほうから官僚に働きかけがある場合もある。
各省庁間の調整とか与党内の調整が必要な場合には、各省庁の事務次官会議、与党の
党幹部によってまとめられ,最終的に閣議(大臣の会議)で法案が決定される。国会
で多数を占める政権党と官僚の合作でこのようにしてつくられる法案は、国会提出以
前に事実上ほとんど「法律」そのものになってしまう。内閣主導、政・官の癒着が日
本の立法過程の大きな特徴である。
93年に自民党単独政権が倒れ、非自民政権、「自社さ」政権とくるくる交代して
以来、国会内では、「総与党化」といわれる現状がすすんだ。共産党をのぞいて、与
党と野党との間にあまり政策的な違いがなくなり、国会での論戦にあまり緊張感がな
くなった事態を指している。問題点をかかえた法案があまり審議されないで、可決さ
れてしまう現状は、議会制民主主義の観点からは大きな問題点をはらんでいる。
8 国政調査権一議院のもっている「武器」
いまから20年ほど前、こどもたちの間で一つの言葉がはやった。親や先生から何か
都合の悪いことを問いつめられると、こどもたちはつい言ったものだ。「全く記憶に
ございません」。ロッキード疑獄事件で両議院によって証人喚問された政商が事件の
核心をつかれそうになると、きまってこういって逃げようとしたさまがテレビで放映
されて、この言葉は、その当時のはやりのギャグになった。
航空機購入の際、政府高官などが便宜をはかり、ロッキード社からワイロをうけと
ったのではないかとの疑惑が広がったとき、その事件の重大さに気づいた議院は自ら
証人・参考人をよんで調査をおこなった。こうして、裁判による法的責任の追及とは
別に、政治的な責任の追及がなされた。最近でも、汚職事件がおきると、たまに国会
で証人喚問がおこなわれることがある。
日本国憲法は、国政にかんする調査権限を国会の両院に与えている(62条)。一般
に、この権限は国政調査権と呼ばれ、立法権・条約承認権・内閣総理大臣指名権など
とならんで、国会の両院がもつ権限として、とりわけ重要な権限である。国会で多数
を占める政党によって内閣がつくられ、そしてその内閣による法案提出が大部分とな
って、事実上「内閣政治」が中心になっている今日、行政権にたいする民主的統制に
とって、この国政調査権のもっている意義はますます重要になってきている。国政調
査権の及ぶ範囲は、基本的には国政全般にわたると解釈されている。だから財政・安
全保障・教育など、どんなことでもすべて議論の対象になりうる。ただし行政権の民
主的な統制という基本的な目的のために国政調査権は活用されるのであって、一市民
のプライバシーをあばきだすなど、個人の人権を侵害するために用いてはならないし、
刑罰を科する裁判に代わるものでもない。
政治家の汚職に関係する事件では、この国政調査権の活用が大いに注目された。こ
の時ばかりは国会中継が話題になったし、国会に対する期待も高まった。しかし、反
対に、「人権保護」を理由にこの権限をできるだけ制限しようとする主張が政治家の
中に根づよくあることも事実である。アメリカでは、きわめて強い調査権限が議会に
あることが知られている。その調査を実質化する保障として、スタッフや予算も日本
に比べてはるかに充実している。それにひきかえて、わが国の実情はどうか? もう
一度考えてみなくてはならない問題である。
9 憲法と政党
国の政治であれ、地方の政治であれ、現代においては政党が果たしている役割は大
きい。政党とは政治的な主張をおなじくするひとたちの集合体=結社である。国民(
有権者)は選挙で国会議員・地方議員を選ぶが、その議員は普通いずれかの政党に属
しているから、実際には政党を選んでいることにもなる。また議員は国会内で政党と
してまとまって活動するから、国民(有権者)は政党をつうじて国政なり地方政治な
りに参加することになる。
憲法の歴史をふりかえると、はじめ、政党は敵視あるいは無視された。明治憲法の
下でも政府は当初、政党を攻撃したが、後に伊藤博文自ら政党を組織して、政府を担
った。大正デモクラシー期になると、政党によって内閣が組織される慣行が「憲政の
常道」になる。アジア・太平洋戦争中、政党はすべて解散させられた(自発的解散も
ふくむ)が、戦後、いろいろな政党が再建または新たに結成され、現在では大小さま
ざまな政党が活動している。政党間の対立・連合が日本の政治をうごかしている。
世界の憲法の中には、統一ドイツの憲法であるドイツ連邦共和国基本法のように、
政党について明記している場合もある。この憲法では、「たたかう民主制」といって、
「自由で民主的な基本秩序」に反する政党は禁止されている。政党を憲法で規律する
と、政党が憲法上明確な位置に立つ反面、どういう団体を正当な政党と認定するのか、
それを誰がおこなうのかなど、難しい問題も出てくる。
日本国憲法は政党について何も述べていない。ただ第21条が結社の自由にふれてい
るにすぎない、だからといって、政党の役割が憲法上意味がないと考えてはならない。
日本国憲法は政党について、ドイツとちがって、いかなる政党であれ、国民の自由な
政治活動に基づいて結成・運営の自由をもち、国民のさまざまな意思を政治に反映さ
せるべきだ、との考え方をとっている。「思想の自由市場」論と呼ばれる、この考え
方は、戦前の反省にもとづいて、さまざまな思想の共存を認める。
94年に「政党助成法」がつくられた。国から一定のお金を政党に提供し、その活
動を保障しようというのである。年間約300億円の公費が、得票や獲得議席に応じ
て配分されている。このような「政党法」ではますます大政党に有利に、少数政党に
不利にならないかが問題だ。政党が国に「寄生」するような事態になれば、議会制民
主主義は形骸化してしまうだろう。
10 日本の最高権力者・首相の一日
右頁にある「動静」という新聞記事をみてほしい。これは首相一憲法上、正確には
内閣総理大臣一の一日のスケジュールを記録した記事である。さすがに朝早くからい
ろんな予定がつまっている。まず「閣議」。首相は内閣の「首長」(憲法66条)と定
められているから、首相が閣議を主宰する。この閣議ではきわめて争くの事項が決定
される。詳しくは憲法73条をみてほしいが、ザッと挙げると、_法律の執行、_外交
関係の処理、_条約の締結、_予算の作成、_政令の制定などがある。首相の日程を
みても、仕事の多様さがよくわかる。官房長官・官房副長官と打ち合わせ、会計検査
院長・内閣調査室長・内閣審議室長から報告を聞き、大使から海外の情報を得る。そ
して、国会に出席して、野党からの質問にこたえる。
この日程によると、首相は自民党選挙本部開き式にも出席している。わが国では、
国会で多数を占める政党あるいは政党連合の党首が首相に選ばれるから、首相は政権
党の党首でもあり、したがってその政党の運営にも責任を負う。同じ政党の代議士や
参議院議員がしきりに面会に来て情報をもたらしていく。
現代日本では、しばし「政財官」の結合(悪くいえば癒着)がいちじるしいといわ
れる。資本家団体の集まりである財界は政権党としっかり結びついている。政権と財
界の間にはいろんな結びつきのルートがあるが、首相のこの日程にもそれがよくでて
いる。首相官邸で正式に会うこともある。ここでは関西経済連合会会長、西日本経済
協議会のメンバーとの会談などがそれだ。そして夜のつき合いもしばしば。東京は銀
座や赤坂の高級料亭で盃を組み交してご歓談ということになる。こういう場で、財界
は利益になるように公共事業の配分、行政による優遇措置をたのみ、政治家は財界に
政治献金を要請する。
憲法では、国の権能を立法・行政・司法の三つに分ける権力分立原則が採用されて
いて、首相はその三権の一つである行政権の首長にすぎず、格からいえば国会の両院
の議長・最高裁判所長官と同列のはずである。しかし現実には、首相は他の二者とは
比較にならないほどの実権をもっていて、まさに日本の「最高権力者」なのである。
しかし、憲法がこの「最高権力者」にたいしてチェックするしくみ、とくに国会によ
るチェック、選挙を通じての国民みずからによるチェックを定めていることもわすれ
てはならない。
11 国家を動かす者一日本の官僚たちの姿
S(大学1年生)「先生、国家公務員上級試験を受けようと思うんですが、何を勉強
したらいいでしょうか?」
T(大学の若い教員)「まだ大学に入ったばかりだろう。そんなにいそぐ必要もない
ぞ。1年生の時くらい、専門以外の本を読んだり、サークルにはいったり、ガー
ル・フレンドと楽しくあそんだりしたらどうだ」
S「東大法学部のような、官庁に学閥をもっているような大学ならともかく、僕のよ
うな地方国立大学では、いい成績をとらないとアウトですよ」
T「官僚になってどうするんだ。この間も東大法学部出身の厚生省の高級官僚がわい
ろをもらってつかまっただろう。エリートでも犯罪をしては何にもならないな。」
S「官僚の仕事って大変でしょうね?」
T「そうだな。幹部候補生のキャリア組は仕事がきついらしい。とくに予算作成期と
か、国会が開いているときとか、家にも帰れないらしい。『日本を動かしている
のはおれたちだ』って気があるんだろうな。たしかに法案を作ったり、その執行
方法を考えたり、かれらは優秀だ。だが、『高級官僚』とかけて『ヒラメ』とと
く。その心は『上ばかり見ている』。どうも出世志向がつよすぎて、庶民感覚を
わすれてるんじゃないか。政治家とか、大企業の役員とかの娘と結婚する人も多
いそうだ。現代の政略結婚さ」
S「でも憧れますね。お金もちで、そのうえ広末涼子みたいな子ならいうことなし」
T「官僚をやって、政治家とくに自民党の議員とコネをつくるのが多い。いけるとこ
ろまで出世したら、後は国会議員にうってでるか、『天下り』。これでは退職金
の二重取りだ!おかげで、おれのような貧乏公務員までいっしょにされて、評判
が悪くなる」
S「先生もつらいですね。奮闘・努力のかいもなく今日も涙の日が落ちる__」
T「公務員といっても、いろいろだ。キャリア組はそのなかでも『超特急』。スイス
イと『普通』を追い越していく。20代で署長だからね」
S「先生、『高級官僚』とかけて『ジャイアント馬場』ととく」
T「ウンウン、その心は」
S「『つい、態度がデカくなる』......」
12 「政治改革」はなにをもたらしたか?
日本国憲法は第42条で「国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する」と
して、それぞれ任期を衆議院4年(45条)、参議院は6年(46条)と定めている。そ
して、「両議院の議員の定数」「議員および選挙人の資格」「選挙区、投票の方法そ
の他両議院の議員の選挙に関する事項」については法律で定める、としている。この
法律が公職選挙法(略して公選法)である。だから、選挙制度や選挙権を具体的に定
める公選法は法律とはいえ、その重要さは憲法そのものに負けないといってもよい。
しばしば問題となってきたのは、この選挙制度をどうするかということだった。19
82年には、選挙にお金がかかりすぎるからということを主な理由にして、参議院でそ
れまでの全国区を拘束名簿式比例代表制に改める改正が行われた。そして、94年の「
政治改革」法により、衆議院の選挙制度が、小選挙区比例代表並立制に変わった。一
つの選挙区で3〜5の当選者をだす中選挙区制度では、同じ政党のなかで対立候補が
出て派閥争いにつながるからとか、イギリスの例をもってきて二大政党の間で政権交
代がしやすくなるとか推進者は主張したが、「死票」が多数でる、少数政党が議席を
もつことがむずかしくなる、などの問題も指摘されている。衆議院の議席のうち4割
を比例代表としたが、全国を11のブロックに分けたので、ますます少数政党にはきび
しい条件がつくことになってしまった。
「政界再編」のもくろみと結びついて主張された、この「政治改革」は政治に何を
もたらしたか。イギリスのような「健全な二大政党が生まれて、政権交代が活発化す
る」などと主張された。しかし。96年総選挙の結果からは、大政党がますます肥大化
し、現職議員がこれまで以上に有利になり、政治勢力が固定化した、など否定的なも
のでしかなかった。
1925年に男性25歳以上の普通選挙権を、そして1945年には女性も選挙権を獲得し、
20歳以上の男女すべての国民は選挙権をもつ(受刑者などは制限されるが)。最近で
は、世界の趨勢に合わせて、18歳まで選挙権を拡大しようという声も大きくなってき
ているし、「国際化の時代」を迎えて、外国人の選挙権の課題も提起されるようにな
った(ヨー日ツバでは、地方議会ですでに外国人の選挙権・被選挙権が認められてい
る国もある)、とくにわが国では、定住外国人とよばれている人々は日本国民とまっ
たく違わない生活基盤なのだから、選挙権があって当然といえよう。
13 最高裁はほんとうに「憲法の番人」か?
「信頼できるものは何ですか」という新聞のアンケートが以前にあった。最下位つ
まり最も信頼できないものは「政治家」。「教師」、「マスコミ」は中くらいか。そ
れでは、最も信頼できるものはなにか?その一つに「裁判所」があった。裁判官を英
語では、JUSTICEともいう、この言葉の別の意味は「正義」。そのくらい、欧米でも
、日本でも、裁判所は信頼が高い(高かったというべきか)。かつて、冤罪(えんざ
い)に問われた被告が、地裁・高裁と敗れたとき「まだ最高裁がある!」と叫んで「
憲法の番人」としての最高裁に希望をつないだ。憲法上、裁判所には「違憲法令審査
権」(81条)があたえられている。国会のつくった法律、行政庁がだした命令が人権
を侵していないか、について憲法にてらして判断する権限を裁判所はもっている。人
権という大切な価値をまもるための、裁判所のとっておきの手段だ。
しかし、皆さんは、憲法の講義をうけて人権について聞いていると「人権保障を主
張した人は下級審(地裁・高裁)で勝ったけれど、最高裁では負けた」という説明が
しきりにでてくるので「最高裁はどうなっているの?」と疑問に思うかもしれない。
最近の代表的な判決をとりあげてみると、裁判所は上へ行けば行くほど、人権にたい
し冷淡な態度をとっていることがわかる。「公共の福祉」論、「プログラム規定」論
「国民全体の共同利益」論、「立法裁量」論など、さまざまな理由づけはいずれも、
人権を主張する国民の側に不利に、反対に、訴えられた国=政府の側に有利に判断す
るために用いられた。最高裁がこれまでに、ある法律を憲法違反と判断したのは5回
にすぎない(尊属殺人罪違憲判決・薬事法距離制限違憲判決そして2回の議員定数配
分違憲判決さらに森林法違憲判決)。それも真正面から人権保障をうたった判決では
ない。最高裁は「憲法の番人」ではなく「内閣の番犬」になってしまったかのようで
ある。
最高裁裁判官は全部で15人。この裁判官を任命するのは、憲法上、内閣である(た
だし形式上は最高裁長官だけは内閣の指名により、天皇が任命する)しかしわが国で
は同一の政党によって政権が維持されてきたため、どうしても内閣の意思が反映しや
すい。長官の指名になると、一層その傾向が強い。最近も、学者出身の、人権に比較
的に理解を示した最年長の裁判官をおしのけて、別の裁判官(タカ派といわれた)が
長官になった例がある。また司法にたいするチェックとして憲法が規定している(79
条)最高裁裁判官にたいする国民審査も制度として十分機能していない問題点を持っ
ている。
14 裁判官の独立
日本国憲法第76条3項で、一般に「裁判官の独立」といわれている内容が定められ
ている、争いを法的にさばく裁判官は、憲法をはじめとする諸法律にだけにもとづい
て裁判をおこなわなくてはならない。収入や出世に目を奪われて判断をあやまること
のないように、裁判官にはしっかりした身分保障(裁判官の報酬についても憲法は79
条、80条でとくにさだめている)が与えられている。それだけに裁判官は立法権・行
政権からも独立して判断しなくてはならないし、また司法部内でも不当な干渉をうけ
てはならない。
しかし、現在、この「裁判官の独立」は大きな問題点をかかえている。1970年代初
め、宮本康昭判事補(熊本地裁)は、内閣の再任拒否によって(裁判官は10年ごとに
再任という手続きをとる)裁判官の職を奪われた。再任拒否の理由は明らかにされな
かったが、宮本判事補が青年法律家協会という法律家団体に属していたことが本当の
理由だった。当時、最高裁は、裁判官にたいする統制・管理を強め、青法協に属する
ような民主的な裁判官を敵視するようになっていた(その背景には,自民党議員や右
翼による「偏向裁判官」攻撃があった)。裁判官に対する統制・管理政策はそれ以後
もつづいて、最高裁判例とはちがった判決をだすような裁判官はへき地にとばされた
り、なかなか地裁の所長になれなかったり、というような事態のなかで、裁判官の心
の中で、最高裁にどうみられるかを一番気にするような傾向が生まれてきている。一
人ひとりの裁判官が「その良心に従ひ独立して」裁判を行うのではなく、最高裁の考
え方に合わせて裁判をおこなうようになってきた。
裁判官と争いの当事者の一方の側である訟務検事とが交互にその職を経験する「判
検交流」も最近の特徴である。たとえば国の賠償責任を争った訴訟で、国側の代理人
になった訟務検事が、後日、裁判官となって同じような内容の訴訟をさばくことがあ
る。こうなると最初から結論はわかりきっているといっても言い過ぎではない。公正
な裁判の前提であるはずの「裁判官の独立」の基礎がゆらいでいる。こうした現状で
「裁判官はどうあるべきか」を必死に考えている裁判官も多く、司法部の中では「裁
判官の独立」をめぐって対抗がつづいている、一連の動きを「司法の反動化」とよん
で、日本国憲法にとっての危機としてうけとめている人も多い。憲法の保障のために
は裁判官のはたさなくてはならない役割はきわめて大きいからである。
15 裁判がなされるまで
皆さんの中には、バイクや車の免許証をもっている人も多いと思う。その中には、
スピード違反で反則金を払った人もいるだろう。「反則金を納付した者は、通告の理
由となった行為に係る事件について、公訴を提起されず、又は家庭裁判所の審判に付
されない」と法律には書いてある。しかし「オレは時速20kmオーバーなんてしていな
い」と不服に思った場合、あくまで自分が正当だったら、反則金を支払うことを拒否
して、裁判で無実を争えばよい。ただし、その場合、君は道路交通法違反の被疑者・
刑事被告人として裁判にのぞむことになる。
普通、検察官はその被疑者を起訴するかしないかを判断する。不起訴になれば裁判
までいかない。本格的な裁判は、まず検察官による起訴によって始まる。検察官は、
君のスピード違反事件について、捜査にもとづいて起訴状を朗読する。それに対抗し
て、被告人としての君は、あくまで無罪を主張し争うことを宣言する。
裁判はその後、証人尋問・証拠調べがすすむ。裁判官は、被告・検察双方からなさ
れる証人・証拠調べによって、君が本当にスピード違反をしていないか、検証する。
君の友人が「彼は制限速度ギリギリでちゃんと走ってました」と証言してくれるかも
しれない。反対に検察側の証人として、現場の警察官の登場だ。「このメーター記録
を見てください。時速20kmオーバーですよ」
さいごに判決。裁判官はこれまでの訴訟のやりとりから有罪か無罪かを判断する。
「被告人・・は無罪」と判決の冒頭・主文で述べれば、君の勝ち。つづいて、なぜ無
罪になったか、理由が朗読される。反対に有罪となれば、君には刑罰が科される。以
上は刑事訴訟についてだったが、わが国の訴訟制度には、この他に、私人同士が争う
民事訴訟、行政庁の公権力の行使に関して争う行政事件訴訟がある。たとえば金の貸
し借り・損害賠償などの裁判は民事訴訟、行政庁のおこなった許可の取り消しなどの
裁判は行政事件訴訟で、訴えた側が原告、訴えられた側が被告となる。これら三つの
型の裁判に共通していることは、自分が不当に刑罰を受けたり、権利や利益を侵害さ
れた場合には、泣き寝入りしないで裁判であらそうことができるということだ。この
ことを日本国憲法は「裁判を受ける権利」(32条)と呼んで国民の権利にしている。
裁判はわたしたちにとっては決して縁遠いものではない。それは、まさに「権利のた
めの闘争」の一つの舞台である。
16 現代の警察と市民の人権
これまで司法についてふれてきたので、憲法には書かれておらず、憲法学では直接
取り上げられないが、人権にかんして関係のふかい警察についてもふれておこう。
警察官は「司法警察職員」といって、刑事事件の捜査にあたる。ふつう刑事とよば
れている警察官はこれにあたる、しかし警察の仕事は、刑事事件の捜査だけでなく、
たとえば交通取り締まり・交番の警官による「巡回連絡」という名の世帯調査・キャ
バレーなどの風俗営業店への立ち入り調査・非行少年の保護などにも及ぶ。それにヘ
ルメットとジユラルミンの盾で身構える機動隊も警察官であり、公安警察といって反
体制の政治勢力に目を光らせるのも警察官だ。現代においては市民生活のきわめて多
くの領域に警察の仕事が及んでいるのが特徴だ。
このように私たちは日常生活ではしばしば警察と係わりをもっている。誰だってバ
イクに乗っていたり、夜に歩いたりして一度や二度は呼び止められたことがあるにち
がいない。それではどういう法的な根拠で、どういう場合に警察官はそういうことが
できるのだろうか?「警察官職務執行法」には「異常な挙動その他周囲の事情から合
理的に判断して何らかの犯罪を犯し、若しくは犯そうとしていると疑うにたりる相当
な理由のある」場合に市民を停止させて質問する事ができると書いてある。法は、警
察官が権限を行使できる場合をこのように明示することによって、市民の人権・生活
が不当に圧迫をうけないように配慮しているのである。またこの「警察官職務執行法
」には「この法律に規定する手段は__必要な最小の限度において用いるべきもので
あつて、いやしくもその濫用にわたるようなことがあってはならない」と、警察官に
よる権限の濫用をいましめている規定が置かれている。市民生活に関係の深い軽犯罪
法や道路交通法なども運用にあたって警察権の濫用に注意しなくてはならない。「麻
薬取引の捜査」のためと称して、電話の傍受が許されるのかも問題になっている。冤
罪(えんざい)事件にみられる警察の不法な捜査をどう防ぐか、もなお残る課題だ。
どうして警察官の権限は濫用が禁じられているのか? 一般的に言えば、警察権力
はしぱしば国民の人権をおかしやすいことにたいする予防策といえる。もちろん私た
ちの生活の保全のためにはある程度の「市民警察」の存在は必要であろう。だからこ
そ警察にたいする市民のコントロール、もっときびしくいえば監視によって、現在の
警察を「国民のための警察」にかえていくことこそ重要である。
17 財政民主主義の考え方
日本国憲法は第七章に「財政」の章をもっている。全部でわずか9か条の規定だが、
その持っている意味は実に大きい。というのは、この章をつらぬく財政民主主義の考
え方は、17世紀からはじまる近代憲法の基本的な原則だからである。
17世紀のイギリス、18世紀のアメリカとフランス、これらの国でなしとげられた市
民革命はいずれも国民の代表からなりたっている議会の同意をえないで、政府が強制
的に税をとりたてようとしたことからはじまった。その結果、各国の憲法には財政民
主主義の考え方が明記されることになった。課税・支出など国の財政活動には、国民
の代表機関である議会の同意を欠くことはできない、という考え方である。
わが国の戦前の大日本帝国憲法では、陸海軍の編成・装備にかんする財政的な統制
については当時の帝国議会はまったく関与することができなかったし、イザとなれば
政府は議会の同意なしに前年の予算をそのままひきつぐことができた。しかし、日本
国憲法はそのような例外をいっさい認めていない。皇室の支出も「防衛費」もすべて
予算にいれられて国会の同意をえなくてはならないし。消費税のような税金も国会の
議決をへなくてはならない(消費税導入のとき、野党の反対をおしきるため、衆議院
でも参議院でも強行採決の手段がとられたことは、国民の同意を形式的にとればいい
と考えた政府の誤りといえる)。
財政民主主義の考え方を、国民のがわからみると、納税者の権利という言い方にな
るかもしれない。これまでともすると「税金=とられるもの」として受け身的なとら
え方がなされてきた。しかし、最近では、税金を払うということは、主権者としての
国民の幸福を実現するよう政府に委託しているんだという発想から、税金の使途・徴
収方法にまでわたって一つ一つチェックしていこうとする考え方が広がってきている。
これが納税者の権利という考え方である。
サラリーマンは一般の自営業者などにくらべて不当に税金をとられているのではな
いかとしてサラリーマンにも税法上の必要経費の自主申告を認めよと提起したり(サ
ラリーマン税金訴訟)、地方自治法にもとづく住民監査請求や住民訴訟で、自治体が
官僚などの接待につかった食糧費の内容を公開しないのは違法」と訴えて裁判であら
そう市民運動(行政オンブズマン)が各地でみられる。これらも、納税者の権利・財
政民主主義の考え方が徐々に浸透していることのあらわれとみることができる。
18 地方自治のしくみ
わたしたちの生活にもっとも近い関係をもっている市町村の政治、さらにもう少し
広がって都道府県の政治の原則を日本国憲法は第8章で簡潔に定めている。憲法の基
本的な原理である国民主権は、地方の政治についても十分に具体化されなくてはなら
ない。このことを住民自治の原則と呼ぶ。つまり、地方の政治において住民こそが主
人公で、住民の利益にかなった民主的な政治がおこなわれなくてはならない。
そのために、地方の政治については、国の政治とことなった特徴がある。地方自治
体ごとに地方議会がつくられ、その地方議会は独自の条例をつくることができる。地
方自治体の長は住民の直接投票でえらばれる、住民には首長の解職や地方議会の解散
を請求する、条例の制定や廃止を地方議会に請求する、それに自治体の公金の不当な
支出についての住民監査を請求する、など直接民主主義的な制度がみとめられている。
戦後の憲法の歴史のなかでも、住民の生活をまもるために地方自治体が先進的な役
目をはたしてきた例も多い。たとえば、1960年代末から70年代にかけてふきだした大
気汚染・水質汚染・騒音などの公害問題にたいして、国以上にきびしい基準で公害防
止にとりくんだのは、住民運動をバックに実現した「革新自治体」であった。社会福
祉についても、すすんだ自治体では乳幼児や老人の医療費の無料化、障害者に対する
社会福祉サービスの充実など、限られた予算の中で、きめ細かい施策がとられた。
住民の運動とむすびついて、地方自治をより活性化させようとする動きが各地です
すんできている。たとえば、法律ではすでに廃止されてしまった教育委員会委員の公
選制を復活させようとしたり(東京都中野区)、まだ国ではできていない情報公開に
かんする条例をつくったり(神奈川県ほか)、原子力発電所や産業廃棄物処分場の建
設についての町民投票条例を制定したり(新潟県巻町、岐阜県御嵩町、宮崎県小林市
)する試みが全国各地の自治体ですすんでいる。
日米安保条約にもとづく米軍基地の整理・縮小をもとめて沖縄県では県民投票が行
われた。米軍のヘリコプター基地の移設をめぐって、沖縄県名護市では市民投票が行
われた。いずれも住民が条例制定の直接請求をおこない、住民の意思にもとづく政治
をもとめたものだった。「民主主義の学校」といわれる地方自治。身近な要求をかか
げてたちあがった一つ一つの「権利のための闘争」が、憲法を私たちの生活に根づか
せていく。
19 「地方の時代」の真相一故郷に帰って
私「久しぶりで故郷に帰ってきて、のんぴりできてよかったよ」
友人(町役場につとめる)「まあ都会にない静けさだけがとりえかな。でも、この町
もこのところ過疎の傾向で人口がへっているんだ」
私「『地方の時代』とかで、地方が見直されていると新聞には書いてあったが」
友人「ううん、そこが難しいところなんだ・今、地方自治体がその町に合った、なん
らかの事業をやろうとしても、なかなかできない。まず金がない」
私「固定資産税のような地方税があるだろう?」
友人「確かに地方税があり、国から回ってくる地方交付金や地方譲与税もあるけれど
、独自の財源はこれだけで、全財源の三分の一くらいだ。残りは、国の補助金や
らなにやらで『ひもつき』というわけさ」
私「そこから『三割自冶』という言葉が生まれてきたんだね」
友人「それから機関委任事務、国が行なう事業を肩替わりしている格好だから・手間
も掛かるし、金もいる」
私「『行政改革』で、この整理が提唱されているね」
友人「あの提言も表面的にはいいことを言っているみたいだけど、よく検討してみる
と、地方がいうことを聞かない場合には、国が自分で執行してしまうというんだ
からによる地方の締め付けといえなくもない」
私「そういえば、川の上流に発電所ができるようだね・きれいな川だったが。底に沈
む家はむりやり移転ということか。これでは何のための開発だろうか?暮らしや
すい町をつくることが願いなのに。」
友人「そんなことわかっているさ、でも、こんな過疎の村が生き延びていくには、こ
ういう発電所でも造って税収入を得なくてはね」
私「この町でも、開発派と反対派が争っているのか?」
友人「開発を主張するひとは、県に陳情したり・国会議員にたのんだりしている。オ
レも町長の付き添いで十月に東京に行ってきたんだ」
私「中央に気をつかわなくては町は良くならない。これでは憲法にいう『地方自治の
本旨』とあまりに違いすぎないか?」
友人「憲法にもとづいて、どこをどう変えたらよいのか、考えるときだな、今は」