地方記者に望むこと
各地に出張した時、その地方の新聞を読むことは楽しいし、大いに勉強になる。先日も
沖縄に出かけて、「琉球新報」「沖縄タイムス」などの強烈な個性をもった地方紙を読ん
だ。不発弾の処理とか米軍基地の騒音問題などの記事を読んで、隣の県の私たちがあまり
知らない、沖縄が現在かかえている諸問題の一部を改めて知ることができた。私が毎朝目
を通す「南日本新聞」の各紙面や「地方記者の目」というコラムからも、南九州地方のか
かえる様々な問題を教えられ、住民の多様な生活ぶりが伝わってくる。
地方紙の価値は、地方のこうした息吹をどれだけ読者に伝えることができるかにかかっ
ているといっても過言ではないだろう。新聞に個性がなくなったといわれることが最近多
いが、地方記者の皆さんには、自分の足で歩き、自分の目で確かめた、生き生きとした記
事を読者にぜひ伝えてほしい。
地方記者には、一つ一つの事件(事実)がもっている社会的な意義をしっかりとつかん
でいくことが求められている、と思う。地方の小さな事件が、実は社会的にきわめて大き
な意義をもっていることはしばしば見受けられる。最近の例からいうと、先日の阿久根市
の市議会の解散請求の成立は、たんに一地方都市の出来事にとどまらず、政府のすすめる
国立病院の統廃合などの「行政改革」が当の地域住民から反対をつきつけられたという意
味で、まさに現在のわが国の基本的な政策にかかわる意義をもった事件だった。たとえ地
方の小さな出来事であったとしても、その事件がもっている社会的重要性を見抜く感性と
問題意識が地方記者にはとくに必要である。そして事実をほりおこし、その事実の社会的
な意義をわかりやすく伝える地道な努力を読者として望みたい。
地方の生活に根差しながら、アンテナは高く張って、読者にとって社会に開かれた「窓
」になってほしい、と大いに期待している。
(南日本新聞一九九〇年一月四日)