「戦後50年 新聞はどう伝えたか」
今日は、このあとで、パネル討論で、新聞労連の藤森委員長はじめいろいろな新聞の方
が登場されて議論することになっています。いわば「書き手」の側からの発言がなされる
と思うので、私は、読者の一人として−私個人は「新聞の愛読者」といってもいいくらい
、自分でとっているのと学校でとっているのを含めると、全国紙、ブロック紙、地方紙そ
れぞれ目を通しています。ただスポーツ紙はたまに買ってくるぐらいですが。最近の「オ
ウム報道」をみると、スポーツ紙の検証も必要になってきているのではないか、と思って
います。
#最近の二つの「戦後50年」の日本の問題状況を考えさせた事件から
1、「戦後50年」の国会決議あれこれ
反対派の抵抗−当初の「自民党案」(列強による植民地支配に・・ わが国
もまきこまれた)
渡辺美智雄の「朝鮮併合は円満に行われた」(のちに撤回)と
の発言=意識水準からすれば、戦前の「国史教科書」なみ
2、アジア−太平洋戦争での「日本軍による犠牲者2000万人」をめぐる問題
山花委員長(当時)の「発言撤回」
上田耕一郎議員の発言の議事録からの削除
あの「15年戦争」の反省が国民全体のものとして行われていないことを示す
あるいは、
なぜ、我が国は、ひとりの「ワイツゼッカー」を生むことはできなかったのか。┳ドイツ
との違い。実はこの問題は、単なる歴史認識の問題だけでなく、経済の問題とも関係があ
る。輸出一辺倒になった日本と均衡のとれた貿易をめざしたドイツとの違い
また、現実の外交にも影響している。「まず従軍慰安婦の問題など戦後の問題を解決し
てから、国連常任理事国に立候補したら、という発言」(南日本新聞)にもあらわれている。
#こういう現代日本がかかえる問題を考えるためにも、新聞労連が提起している「3つの
検証課題」は大きな意味があろう。今日の報告はその検証課題にかかわってみたい。
# 戦争中の新聞
(1)大日本帝国憲法の下での言論を弾圧する制度
新聞紙法
軍機保護法 国防保安法
大日本帝国憲法は言論の自由を認めていたが「法律の範囲内」で認めていたにすぎ
なかった。大日本帝国憲法は言論を守るために頼りとはならなかった。
もちろん、こうした中でも、新聞記者の必死の「たたかい」があったことは事実である。
桐生悠々や菊竹六鼓のような新聞記者もいた。
(2)戦前、日本の新聞はなぜ15年戦争に協力・加担してしまったのか。戦争を防ぐた
めには、どの時点でどうすればよかったのか。
だからといって、大日本帝国憲法の下の言論がすべてのっペらぼーに不自由であったわ
けではない。「大正デモクラシイ」(1920年代)
1928年山東出兵、1931年満州事変、この段階あたりで、言論は急速にとりこま
れていった。「満州。蒙古権益擁護論」それに、朝日新聞でも報道されていたが(藤森さ
んの発言にある)戦争反対をとなえていた朝日が、右翼の不買運動の影響で。戦争推進に
論調を変えていったことなど。
(3)それどころか、新聞は、「草の根の軍国主義」を煽る役目を果たした。
1931年10月16日 在満州軍隊慰問金募集キャンペーン、号外、ニュース映画、
展示会、慰問使派遣、特派員戦況報告講演会などをおこなう。
(4)国民の中ですっかり信頼をなくした新聞「新聞に書いてないから本当だろう」
# 新聞再出発の原点、そこで確認されなかったこと、見過ごされたこと
(1)敗戦直後、日本国憲法公布・施行直後の「社説」を読んで
○ 当時の国民の意識を反映「もう戦争はこりごりだ」
○ 過去の戦争への協力や「煽動」への反省はどうか
「反省すべきものは反省し、改むべきは改めるとはいえ、綺麗さっぱりと昨日の悪夢を
忘れ、今日よりは新しく出発する凛々たる勇気が必要である」(東奥日報)
アジアに対する侵略や植民地支配、強制連行などについて「反省」をふれたものなし。
○ 軍閥への批判はするが、それ以上の批判はない┳天皇の戦争責任は不問
○ 基本的に「一億総懺悔」論の域をでなかったのではあるまいか。
当時の「支配的なイデオロギー」をいわば社説は代弁
○ 大日本帝国憲法との「断絶」は意識されず。
「民主日本を如実に示すための新憲法は今日明治節の佳日をもって公布される」(京都
新聞)
「これ(大日本帝国憲法)は大体当時の対立思想の調和した形なのである。これと同じ
ことが新憲法にもいえる」(茨城新聞)
「藩閥政府の圧迫に抗して、自由・民権を叫び続けた当時の進歩主義者が、憲法発布を
迎えた感激を想像する時、吾等もまた新しき憲法に対し、彼等に劣らざる熱情を捧げなけ
ればならない」(日本経済新聞)
ただし、これは当時の一流の憲法学者(美濃部達吉、宮沢俊義など)に共通していた理
解だった
○ 人権保障について触れた社説もあまりない。憲法20条(信教の自由)や31条以
の適正手続きは、大日本帝国憲法の人権侵害を反省して作られたと考えられている。
今の新聞の「常識」ははるかにこれよりすすんだ。戦後50年の「権利のための闘争」
を知り、伝え、学ぶ中で、新聞の人権感覚、歴史感覚はきたえられてきた。
#新聞の今のありようはどうか
題材
(1)天皇の「代替わり」報道をめぐって
○ 1988年9月の危篤以後の「浮足だち」
○ その後、大嘗祭報道の控えめさなど「復元力」は見られた。
○ 政教分離規定など憲法上の問題点について、読者に伝えることができたか。
(2)「政治改革」報道をめぐって
○ 今「中選挙区制がよかった」などの声が浮上、政治資金規制、政党助成の問題点や現
職有利の制度だなどの問題点が浮上
○ むしろ、なぜあのとき、「政治改革=小選挙区制の実現」という「流れ」棹さしてし
まったのか。もうすこし、冷静な問題点の提示はできなかったのか。
○ 参議院での否決のさいにも「ここまで来たのだから、問題はあっても、後戻りできな
い」という論調でよかったのか。あの時の手続きは、憲法からみてもおかしかった。
○ 大政党中心、派閥中心の、政局報道中心の政治報道に問題があったのでは。
(3)オウム報道をめぐって
○ 松本サリン事件報道の問題は、しっかりと反省されなくては
○ 警察から独自にリークされたことが「スクープ」か。調査報道の必要性┳リクルート
事件のときの新聞
新聞の課題も考えてみたら
(1)日本の現代の歴史をしっかりふまえることの必要性
(2)人権感覚、権力にたいする監視をつねに忘れないで
(3)国民が「高揚」しているときこそ、メディアは冷静に