「 戦 後 5 0 年 新 聞 は ど う 伝 え た か 」
1995.6.12 新聞労連九州地連市民対話集会
小栗 実(鹿児島大学・憲法)
1、最近の二つの「戦後50年」の日本の問題状況を考えさせた事件から
(1)「戦後50年」の国会決議あれこれ
反対派の抵抗
渡辺美智雄の「朝鮮併合は円満に行われた」(のちに撤回)との発言
(2)アジア−太平洋戦争での「日本軍による犠牲者2000万人」をめぐる問題
山花委員長(当時)の「発言撤回」
上田耕一郎議員の発言の議事録からの削除
あの「15年戦争」の反省が国民全体のものとして行われていないことを示している。
ドイツとのちがい
2、戦争中の新聞
(1)大日本帝国憲法の下では言論を弾圧する制度があった。
新聞紙法 軍機保護法 国防保安法
(2)戦前、日本の新聞はなぜ15年戦争に協力・加担してしまったのか。
「満州・蒙古権益擁護論」に代表される国家主義に対抗する思想・理念をもたず
右翼の不買運動の影響
(3)それどころか、新聞は、「草の根の軍国主義」を煽る役目を果たした。
(4)国民の中ですっかり信頼をなくした新聞・・「新聞に書いてないから本当だろう」
3、新聞再出発の原点、そこで確認されたこと、見過ごされたこと−敗戦直後、日本国憲
法公布・施行直後の「社説」を読んで
○ 当時の国民の意識を反映「もう戦争はこりごりだ」
○ 過去の戦争への協力や「煽動」への反省はどうか
「反省すべきものは反省し、改むべきは改めるとはいえ、綺麗さっぱりと昨日の悪夢を
忘れ、今日よりは新しく出発する凛々たる勇気が必要である」(東奥日報)
○ アジアに対する侵略や植民地支配、強制連行などについて「反省」をふれたものなし
○ 軍閥への批判はするが、それ以上の批判はない┳天皇の戦争責任は不問
○ 基本的に「一億総懺悔」論の域をでなかったのではあるまいか。
○ 大日本帝国憲法との「断絶」は意識されず。
「民主日本を如実に示すための新憲法は今日明治節の佳日をもって公布される」(京都
新聞)
「これ(大日本帝国憲法)は大体当時の対立思想の調和した形なのである。これと同じ
ことが新憲法にもいえる」(茨城新聞)
「藩閥政府の圧迫に抗して、自由・民権を叫び続けた当時の進歩主義者が、憲法発布を
迎えた感激を想像する時、吾等もまた新しき憲法に対し、彼等に劣らざる熱情を捧げなけ
ればならない」(日本経済新聞)
○ 人権保障について触れた社説もあまりない。
┳今の新聞・国民の意識はこれよりすすんだ。戦後50年の「権利のための闘争」を知り
伝え、学ぶ中で、新聞・国民の人権感覚、歴史感覚、平和主義はきたえられてきた。
4、新聞の今のありようはどうか−いくつかの題材の中から−
(1)天皇の「代替わり」報道をめぐって
○ 1988年9月の危篤以後の「浮足だち」とその後、大嘗祭などの報道
○ 政教分離規定など憲法上の問題点について、読者に伝えることができたか。
(2)「政治改革」報道をめぐって
○ 今「中選挙区制がよかった」などの声が浮上、政治資金規制、政党助成の問題点や現
職有利の制度だなどの問題点が浮上
○ むしろ、なぜあのとき、「政治改革=小選挙区制の実現」という「流れ」に棹さして
しまったのか。もうすこし、冷静な問題点の提示はできなかったのか。
○ 参議院での否決のさいにも「ここまで来たのだから、問題はあっても、後戻りできな
い」という論調でよかったのか。あの時の手続きは、憲法からみてもおかしかった。
○ 大政党中心、派閥中心の、政局報道中心の政治報道に問題があったのでは。
(3)オウム報道をめぐって
○ 松本サリン事件報道の問題は、しっかりと反省されなくては
○ 警察から独自にリークされたことが「スクープ」か。調査報道の必要性
(4)戦後50年と新聞」を簡単にふりかえってみて、新聞の課題も考えてみたら
○ 日本の現代の歴史をしっかりふまえることの必要性
○ 人権感覚、権力にたいする監視をつねに忘れないで
○ 国民が「高揚」しているときこそ、メディアは冷静に
○ 人権意識や平和主義を血肉化していく「権利のための闘争」に注目してほしい